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とっても小さく生まれ、重症心身障害を持つ次女・ふたばと過ごす日々を綴ります。

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『重い障害を生きるということ』

『重い障害を生きるということ』
高谷 清 著
岩波新書

重い障害を生きるということ


この本の著者は、重症心身障害児施設の医師、高谷 清さん。
高谷医師は滋賀県にある重症心身障害児施設「びわこ学園」(現・びわこ学園医療福祉センター草津)に、
医師として長年勤務され、園長も務めておられました。
現在はびわこ学園医療福祉センターの医師であり、
また、滋賀県の「特定非営利活動法人きらら」(障害者作業所他)の理事長でもあります。

本の冒頭部分で、高谷医師は自分自身の問いを挙げています。
それは、重症心身障害児者が「生きているのが幸せなのだろうか」という問いです。

なぜこのような問いが高谷医師に生まれたかと言うと
びわこ学園に見学に来られた方が、あまりの障害の重さに息を詰め、立ち尽くしていて、
その気持ちを「かわいそう」という言葉で表現していたことがきっかけだったそうです。
よく聞いてみると「これだけ重い障害があるのに生かされているのはかわいそう」という意味だったそうです。
(読んでいるだけでもなんだか胸の痛くなる言葉です。)

高谷医師は、医療者として、
「この人たちに医療をおこなわず、介助もせず、死に委ねるのがよいのか、
それは違うだろう。
だが、根本的には改善の余地がないように思える重い心身の障害のある人が、
生きていることが本当に幸せなのか?」
といった問いが心に残るようになりました。
そこで、生きるということ、人の生きる喜びや生きがいなどについて考えていくことになります。

高谷医師は以前、大学病院に勤めておられました。
その頃、脳性麻痺の子や筋ジストロフィーの子の主治医になったこともありましたが
病気の検査や治療にあたるのが仕事でした。
しかし、医師不足だから手伝ってほしいとの依頼で、
はじめて「びわこ学園」を訪れることになります。
「障害」そのもののために入園し、生活をしている子ども達を見て
一生歩くことも、周囲のことがわかることもできない状態で過ごしていく、
重い障害を持って生きていくことに圧倒されたと記しています。
知らない世界だった、と。


高谷医師は、「びわこ学園」で過ごす子ども達の診察や治療を行うかたわらで
当直勤務で時間があるときには、入園している子ども達の顔をスケッチしていたそうです。

本には、実際に高谷医師が診ていた子ども達の様子が書かれています。
とくに子ども達がどんな反応をする子で、その子をとりまく人間関係がどんものなのか、
という点に注目をして書かれています。

子ども達と接する中で、高谷医師が気づいたことがありました。
重症心身障害児にとって、
「外面感覚」(外界の状態を感知する感覚。音や光など、「五感」といわれるもの)が
ここちよいものであることがとても大事だということ。
身体の自由が効かないうえ、ものごとの認識も難しいため
外界の状態と本人を結び付けるものとして、
「感覚」が、とても大きな役割を果たすものであるということ。
そして、「外面感覚」とともに「内面感覚」(自分の身体の状態や位置感覚)も
ここちよいものであることが大切で、そこに配慮しなければならないということ。

 (位置感覚というのは、自分の手を見なくても開いているか閉じているか、
 膝の関節を曲げているかどうかということや、
 身体が傾いたり回転したりしていることがわかる感覚のこと)


外面的にも内面的にも、ここちよい状態にあることは、
重症心身障害児にとって基本的な「生きる喜び」であると考えられる、と高谷医師は述べています。
(もちろんこれは、障害のあるなしにかかわらず、誰にとっても基本的に大事なことです)

重症心身障害児であること、つまり「ねたきり」でいることによって起こる身体の問題や、
普通とは違った感覚のことなども書かれています。
身体の問題とは、例えば、
 ・呼吸がしにくい(胸郭がひらきにくい)こと
 ・食べたものが下へ移動するのではなく横へ移動するので消化機能に問題が出てくること
 ・骨がもろく骨粗鬆症状態にあること
 ・心臓は、血液を通常の頭の高さまで血液を上げる必要がないため低血圧で心臓が弱いこと
  …など。
普通とは違った感覚とは、
 ・移動の経験がないので、時間を実感することがないこと
 ・過去の経験の記憶が貧しいこと
  …など。


「生きているのが幸せなのだろうか」という問いに対して、高谷医師は、こう答えを出しています。
重い障害のある子どもにとって、苦痛がなく、安心できる環境で、
自分のからだ自体がここちよいこと、それが生きている基本的な喜びなのだ、と。
「生きていることが快適である」「生きている喜びがある」という状態を実現していくことが、
直接かかわっている人たちの役割であり、社会の役割であり、人間社会の在りようではないか、と。


高谷医師が出した答えはとてもシンプルなものだと感じました。
けれど、重い障害を持つ子ども達、人達にとって、
外面感覚と内面感覚をともにここちよいものに保つことがいかに難しく、
どれだけ人の手が必要なのかということも実感させられます。


それにしても、高谷医師のように、重い障害を持つ子や人とその家族の気持ちに寄り添い、
生きるとはどういうことなのかを考えてくれる医師がいてくれることに、救われる思いがします。


ふたばが以前入所していて、今はショートステイでお世話になっている重症心身障害児者施設にも
「これまでの医師としての経験を生かし、重い障害を持つ人たちの手助けをしたい」と、
65歳を超えてから勤務を始められた医師もいらっしゃいました。
その先生は昨年、残念ながら他界されましたが
きっと、障害を持つ人たちの気持ちに寄り添い、ともに生きてくれるような
存在だったんだろうと思います。

そういえば、入所時代、担当してくれていた看護師さんに、
「障害が重い方ばかりで、介助も大変なのに、なぜここを選ばれたんですか」
と聞いたことがありました。
「ここの人たちってね、みーんなすっごく素直でかわいいねんよ。
重心で働き始めたら、もうやめられない、そんな感じ。
ここで働いている人はみんなそうだと思うよ」
っておっしゃっていたなぁ。

その時はあまりよくわからなかったけど、
糸賀一雄さんの「この子らを世の光に」の言葉のように
重い障害のある人が内側に持つ光や生きるエネルギーを
いっぱい受け取っておられたのかな、と思います。


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コメント

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五体満足で生きていても たまに「なんで生きるんだろう」と思うことがあります。
生き物は、ウイルスですら、増えようとすることに貪欲です。
なんで増えたいんだろう。ってたまに考えます。
世話をしてあげないと死んじゃう人は、更になんで生きるんだろうと思うこともあります。
以前、みっちさんが紹介されていた本の中で、「障害者は健常者のために存在しいているわけでない」というお話があったと思います。
私は、増える、種を存続するという意味では生きる意味をあまり見いだせないのですが、「この子のために生きる」「この人と過ごしたいから、死にたくないな」とは考えます
老犬の話なのですが、目も見えないし、鼻もきかないし、歩くことさえ不自由で、寝ているだけの老犬がいました。体力もなく苦しそうなんですが、なんとか生き続けようとしているんです。飼い主の人が江原さん(スプリチュアルの(^◇^;))に尋ねたら、「飼い主さんが、以前からよくこの犬に向かって、私を置いていかないでと話していましたね」といわれたそうです。
「だからがんばってる」って。
義理の母も、病気でした。治療が辛くて嫌だったんですが、子供たちが願うので続けていました。
生きるというのは他者のためにある、というのも言えるのでなないかと思っています。
重症心身障害児の子達は生きるために、内面外面の心地よさだけではなく、親だったり、看護師さんだったりお医者さんだったりが自分と会うと楽しそうにしてくれている。生きることを望んでくれているというのが、生きる幸せなんじゃないかと思います。
アイドルに元気をもらう人もいれば、障害児に元気をもらうひともいる。(^O^)
かわいそうと感じて目をそらす人もいれば、癒されるひともいる。
みんな違ってみんないい。
みっちさんのテーマは、いつも過去の記憶を総動員で考えさせられるので、たまに泣けちゃいます〜。

『重い障害を生きるということ』

本良いね

次男の「生きる喜び」が何なのか見出だせずにいた時にドンピシャな日記でした。
話せない、自分の意思のままに身体を動かせない、意思もあるのかどうか分からない中で、親としてどうしてあげるべきなのかとても悩んでいました。
いや、まだ悩んでいます。
でも、なんとなくヒントをいただいたかんじがしました。
ありがとうございます。

次男が身体的に快適に過ごせること、心地良いと思える環境を作ってあげることが親としてできる最低のことであり、最高のことなのかなぁ、と再確認できました。

こんばんは☆

幸せって何だろうって考えても答えは返ってきませんが、本当そのとおり、笑って楽しくて楽なことなのかもしれませんね。
そのためにも必要な事は頑張らないといけないし、家族も周りも幸せオーラに溢れてみんなが笑顔で楽しく過ごすことも大事ですよね‼

私も昔、障害者施設の実習に行って重心の方と接することがありましたが、本当に皆さん純粋な方々でうまくコミュニケーションが取れずにもっといっぱい知りたいと思ったことを覚えています。
実際に施設で働いたんですが、軽度の知的に障害をもつ方々の施設で、やりがいはありましたが、最後まで重心の方の支援がしたいと思ったものです。
まぁ、ある意味今してます(笑)

また本情報楽しみにしてます‼

普段私も何気なく使っていた「かわいそう」って言葉、娘がそう言われる度に、「娘や周りの人に聞こえるように連発しないで〜」って言いたくなります。

あー、コメントしたものの、考えがまとまらないです(^_^;)

ちまきさんへ

ちまきさん、こんにちは☆コメントありがとうございます。
過去の記憶総動員で考えられているなんて、なんだか嬉しいです。

ちまきさんの「この子のために生きる」「この人と過ごしたいから、死にたくないな」という気持ち、
確かにありますよね。
老犬のエピソードも、なんだか分かる気がします。
生きるということは、決してその本人1人で成り立っていることではなくて、
他の人を支えるために頑張っているんだととらえることもできますよね。
金八先生の「人という字は…」というセリフが有名ですが、本当にそんな感じです。

障害児に元気をもらうひともいる、うんうん、そうですよね。
重心で働かれている方々は特にそんな思いでおられるんだと思います。

それぞれに尊重し合えることが理想ですよね。障害の有無や、年齢や、国境を超えて。
いつも、ありがとうございます(^^)

愛姫さんへ

愛姫さん、こんにちは☆コメントありがとうございます。

本、良いです。
力をもらえます(^^)

りとゆさんへ

りとゆさん、こんにちは☆コメントありがとうございます。

りとゆさん、次男くんの「生きる喜び」が見いだせない気持ちでおられたんですね。

私も、そうなんです。だからこそ、この本を読んで、いろいろと考えてみたかった。

本の中の、医師の結論は、基本的なもので、ヒントになりますが、
自分の子どもの幸せは、子ども自身と家族がどう感じるか、だと思います。

りとゆさんが書かれておられるように、
快適に過ごせることを実現し、ここちいい環境を整えてあげることが
親としてできることですよね。
これはもしかしたらどんな子にも言える事かもしれません。
親が最低限整えてあげたうえで、子ども本人が自分なりに築いていくものが
その子の人生そのものですもんね。
障害のある子は、整えることに労力がかかりますが
そこに築いていくのは、本人なのかもしれないですね。
だからこそ、子どもが発しているサインをしっかり読み取りたいなぁと思う今日この頃です(^^)

ちゃぱるさんへ

ちゃぱるさん、こんにちは☆コメントありがとうございます。

ほんとですね、家族や周りもハッピーに楽しく過ごすことも、
とっても大切なことですよね。
穏やかに楽しく過ごしていれば、子ども本人もきっと楽しくいられますよね。
一番大事な環境かもしれないですね(^^)

ちゃぱるさんは、重心の方と実習で接した経験があるんですね。
仕事で接することと、実際に自分の子育てで関わっていくことは随分違うかと思いますが
コミュニケーションの取り方なんかは、共通するものがあるのかもしれないですね。

秋の夜長に、もう少し本を読みたいんですが
もう夜になると眠くて眠くて…な毎日です(笑)。
また良い本に出逢ったら紹介しますねv-22

あかみらさんへ

あかみらさん、こんにちは☆コメントありがとうございます。

「かわいそう」ほんと心が痛くなる言葉です。でも自分もきっと何気なく使ってきたような気もします。

言葉って、重みがありますよね。
人を支えてくれるものでもあれば、深く傷つけることもある。

言葉に敏感になってしまっている今、自分の発する言葉にも気をつけないとと思います(^^;