プロフィール

 みっち 

Author: みっち 
とっても小さく生まれ、重症心身障害を持つ次女・ふたばと過ごす日々を綴ります。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
カウンター
障害児育児ブログ ランキング

仕事と保育園と通園施設

ここで、私自身の仕事のことと、保育園についてのことを書いておこうと思います。

ふたばを妊娠して7ヶ月になる頃に、切迫早産で緊急入院になった私ですが、
それまではずっと仕事をしていました。
産休に入るまでにあと2ヶ月ほどあったのですが、次の人への引き継ぎがスムーズになるようにと、
早めにマニュアルを作成し続けていて、ほぼ完成したところで、切迫早産で緊急入院となったのでした。

子育てにとても理解のある職場で、入院のことを伝えた時には
「今は自分の体と赤ちゃんを大切に。
作ってくれたマニュアルがあるのでこちらは大丈夫ですから安心するように」
と上司が言ってくれました。

また、出産したことを連絡した時には「大変だけど、赤ちゃんが退院したら、ぜひ戻ってきてほしい」
と言ってもらい、産前産後休暇と育児休業を取らせてくれました。

とても働きやすい職場で、上司にもよくしてもらったので、絶対に職場復帰したいと思っていました。
それに金銭的な問題もあります。

ですが…現実は厳しかった

そもそも、ふたばが病院と療育園を出て、家で生活を始めたのは、1歳8ヶ月の時。
ずっと病院にいた子を、保育園で集団生活させるのは、常識的に考えて、負担が大きすぎます。

…とわかってはいても、役所の地域福祉課の担当の方のところに出向いては、
「なんとか職場復帰したい」と言い続けてきました。
「希望する保育園に直接話をしてみてください」という返答をもらったので、
ひとみの通っている保育園の他にも、通える範囲の保育園を打診してみましたが、
受け入れてくれる園はありませんでした。

「障害児と健常児を共に保育することに力を入れています」とうたっている園でも
「1人で歩ける子しか入園できません」と言われたこともありました。

一番ネックになったのは、「気管切開にともなう痰の吸引」でした。
痰の吸引は「医療行為」なので、医療関係者と保護者以外は原則として行ってはいけません
(平成24年4月からの法改正で、介護職員等は研修を受けたうえで行えるようになったようですが、
現実としてはまだまだ行われていないようです)。
「経管栄養だけなら、○時にこれをする、と決められるので対応できるかもしれないけれど、
その子の様子を見て必要時に痰の吸引する…という対応はとてもできない」ということでした。

地域福祉課の担当の方も、「保育園に常駐看護師をつけ、医療行為ができるようにしてもらいたい」
ということを、協議にかけてくれたりしました。
ですがその結果、今の段階ではそれは難しいとのことでした。

たくさん悩みましたが、最終的には次の理由で、退職を決意しました。
それは「リハビリを受けたい」ということです。

地域の保育園でもしこの先、常駐看護師が配置され、預かってもらえるようになったとしても、
ふたばの体の発達のためのリハビリは受けられません。

退職して、リハビリの受けられる肢体不自由児通園施設に、母子通園の希望を出しました。
そして次の春から、母子通園することがつい先日決まったばかりです。

今はそこに単発でリハビリ通園をしていますが、
定期的な通園を始めたら、プラスになることが増えるかな?

母子通園されている方がいらっしゃったら、お話を聞いてみたいです☆



突然の入院・出産となり迷惑をかけたにも関わらず、1年半もの育児休暇を取らせてくれた職場。
お世話になった温かい職場を離れてしまうのは、とても残念なことでした。
1日数時間でもふたばを預けられる場所があったなら、絶対に復帰していたと思います。

でも退職してリハビリをしていくと決めたからには、その道を楽しんでいこうと思います!

それに、退職をしたからと言って、もう一生仕事ができないというわけではないし、
もう少しふたばが大きくなって、また仕事ができたらいいな…と思います
(その頃にはもちろん私も年齢を重ねているわけですが…

そのためには何かスキルアップをしなければ!と思い、昨年末、福祉の検定試験を受けてみたり。
これからもぼちぼち、勉強していこうと思います。


クリックで応援していただけると嬉しいです!
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村


スポンサーサイト

療育園4(おまけ:新聞に掲載されました)

療育園シリーズ最後は、おまけ画像です。


療育園が力を入れているプロジェクトの一つに
「NICUに長期入院していて自宅に帰れない子どもたちを受け入れる」
という取り組みがあります。

受け入れた後は、その子どもたちが自宅で過ごせるための支援
(「在宅移行支援」と呼ばれています)が行われます。


療育園のその支援についての新聞記事に、ふたばと私が掲載されたことがあります。
もう1年も前のことですが
取材なんて受けたのは初めてでした。
いい思い出です。

新聞記事



クリックで応援していただけると嬉しいです!
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村

療育園3(療育園でのケアとリハビリ)

療育園には約3ヶ月入所しました。
入所当時1歳半だったふたばは、病棟では最年少。
スタッフの方々にたくさん可愛がってもらいました
私は毎日面会に行きましたが、毎日とっても充実していました。

リハビリはPT(理学療法)とOT(作業療法)がほぼ毎日、ST(言語療法)が週3回ほど。
1回のリハビリが40分間。
1日にPT・OT・STすべてのリハビリを受けることもよくありました。

■PT
開きにくい手指を開くマッサージをしたり丸まっている背中を伸ばしたり、
うつぶせの練習、クッション・イスなどを使って座る練習、起き上がる練習、立つ練習…などをしていました。


PTさんお手製のパイプを使って座る練習。背中が丸い…
療育園でのリハビリ1


首がだんだんとしっかりしてきて、頭を起こせるようになってきました
療育園でのリハビリ2


初めて歩行器に挑戦!
療育園でのリハビリ3


■OT
楽器や玩具を使ったリハビリの他、ベビーカーを座りやすいように調整してもらったり、
自宅での入浴方法を一緒に考えてもらったりしました。


ふたばの体に合わせて調整してもらったベビーカー。
なんとお風呂マットとスポンジを切って作ってくれました。少し手を加えながら、今も愛用中!
調整してもらったベビーカー


■ST
口腔のマッサージ、味覚刺激や口腔ケアの指導などがありました。
口腔ケア(歯磨きなど)をしないと、汚れた唾液が肺に入り込んで肺炎を起こすこともあるそうです。
その予防のためにも、1日3回のケアが大切だと教わりました。


リハビリを受ける時は、「やってみていいですか」と自分もその場で実際ふたばの体にさわり、
実践してみました。そして療法士さんにアドバイスをもらいました。
見るだけでいるのと、実際やってみるのとではやっぱり違います。


また、療育園にはHPS(=Hospital Play Specialist:病院にいる子どもに、
遊びプログラムを提供し支援する専門職。看護師資格保有者)がいて、
かごいっぱいの玩具や楽器を持って病室に来てくれ、遊びを提供してくれました
そしてその日の遊びの様子を、写真にまとめて渡してくれたりもしました。


リハビリのほか、療育園に入所したもう一つの目的が「在宅への移行」ということから、
自宅でのケアの方法を看護師に指導してもらったり、一緒に考えてもらったりしました。
例えば、こんな感じです。

■気管切開のケア
自宅での消毒の仕方(病院では吸引するたびに吸引カテーテルを処分しますが、
自宅ではアルコール綿で消毒して使い回す…ということなど)や、
アンビューバッグの使い方などを指導してもらいました。
そして、自宅でも気管カニューレの交換ができるように何度も練習をしました。

■経管栄養のケア
鼻チューブの固定の仕方の指導を受けたり、
自宅に帰ってからの注入時間の調整(夜中の注入をなくし、家族の負担を減らす)もしていきました。
ふたばは、鼻チューブが少し入りにくい(おそらく、嚥下の反射が全くないので、
チューブを食道に通すのが難しいのだろうと言われています)のですが、
これも自宅で交換ができるように練習しました。

療育園に入所している間にも何度か「一時外泊」という形で自宅にふたばを連れて帰り、
療育園で教わった方法を実際に自宅で実践してみて、問題があれば調整して…ということも繰り返しました。


NICUやGCUに入院していた頃は、何もかもが「安全第一」でした。
でも療育園では「なるべく家族の負担を減らして、介護は最小限」というスタンスでした。

例えば、ふたばの排泄にはずっと浣腸を使っていました。
横になっている時間が長いせいか便秘になりやすく、DPAP(呼吸補助器具)を使っていた頃のことですが
便秘のためにミルクの逆流が起こり、呼吸が苦しくなってしまったことが何度かあったためです。
その予防のために、DPAPを外し気管切開をした後も、毎日浣腸をしていたのです。
療育園に転院してしばらく経った頃、主治医から
「1日1回している浣腸を、2日に1回にしてみましょうか。
もしかしたら、そのうち自力で出せるようになるかもしれないし。
毎日浣腸では、家に帰ると大変だし、処方されるのも重いですからね」と言われました。
なるほど~ と思い、しばらく2日に1回ペースを続けていると、次第に自力排泄ができるようになってきたのです。
(おかげで今も、自分でちゃんと出してくれます)


療育園で受けるリハビリやケア指導を、毎日ノートに書いて残していきました
リハビリに関しては、各療法士さんに「自分もリハビリを覚えたいので撮影してもいいですか?」と言って
許可をもらって、写真や動画で残していきました

ふたばの体調の変化に、スタッフがどう対応したかというのも、記録していきました。
例えば発熱した場合、注入の量はどうするか?注入をストップする目安は?薬を投与するタイミングは?…など。
このノートは自宅で生活している今も続けていて、とても役に立っています。


リハビリやケアについての記録(図解つき)
ノート



こうして療育園で過ごす毎日の中で少しずつ、
ふたばとの生活やケアに、自信が持てるようになってきました


そして療育園は、とにかく行事が盛りだくさんでした
ふたばが入所していたのは冬でしたが、3ヶ月の間に、
クリスマス会・クリスマスコンサート・もちつき大会・豆まき がありました。
どの行事も、家族みんなで参加しました。
ひとみも、ふたばと一緒にいろいろなことを経験できて楽しんでいました。

他にも、ホテルからケーキがプレゼントされたり
サッカー選手が訪問してくれたことも(←ばっちりサインもらいました
楽しかったなぁ~~~

障害のあるお子さんを持つお母さん仲間もできました。
重い障害を持つ子を育てているお母さんたち。みんな明るくて強くて、凛として美しい。
大切な出逢いでした。

あっという間の楽しい3ヶ月間でした。

(療育園4に続きます)


応援していただけると嬉しいです!
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村

胎内記憶?

これまでのふたばのことを書いてきて、ちょっと思い出したことがあるので書き留めておきます。

みなさん、胎内記憶(赤ちゃんがお腹の中にいるときの記憶)って、あると思われますか??

長女ひとみが3歳になったばかりの頃、突然こんなことを話し出したことがあるんです。

「ママのおなかにいたとき、せまかったよ。暗かったけど、怖くなかった。
おなかの中にへびさんもいて、へびさんがおちちを飲ませてくれたよ」

これって胎内記憶!?とびっくりしました。
へびさんって、へその緒のこと!?

誰かからお話を聞いたのかな?と思い、後日保育園の先生に聞いてみましたが
そんなお話もしたことがないし、絵本などで読み聞かせたこともないですよ~とのことでした。
テレビはほとんど観ないから、テレビの影響とかでもなさそうだし…

そのお話は、3ヶ月に1回くらいのペースで、突然ひとみから話してくれていました。
でも自分からその話をしてしまった後は、話したことをすっかり忘れていたようでした。

一番不思議だったのが、4歳になる頃に、これまた突然

「ママのおなかの中で、水に浮かんで遊んでたよ。広かった!
うきわが3個あって、テンちゃん(誰?)とふたばと、ひとみと、3人でいたよ。
子どもになろうと思って、ひとみは出口を探して出てきたよ。
でもテンちゃんとふたばは、出口が壊れてて出れなかったよ」

出口…?
そういえば、ひとみの時は自然分娩で、ふたばは帝王切開で生まれています。
そのことを言っているのかな?
そしてふたばが生まれる前に、1人、流産で子どもを亡くしています。
テンちゃんってそれ??(笑)
でも分娩方法とか、流産のこととかは、ひとみに話した事はありませんでした。
しかし出口が壊れていたわけではないんだけどな(笑)。

他にも「パパのお腹にも2人赤ちゃんがおったよ!」
などとおもしろ発言もしてましたが…


5歳になった今、そんな胎内記憶とも取れる不思議なお話は、一切してくれなくなりました。
ちょっと淋しいなぁ



さて、今日は午後から、初めての病院にふたばと一緒に行ってきます。
自宅から近距離の病院が今年度からショートステイ事業を始めた、という案内をもらい
利用登録のための診察です。
医師は小児神経専門医とのこと。何か新たなことがわかるかなぁ。



応援していただけると嬉しいです!
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村

療育園2(新たな診断)

療育園に転院してすぐに、整形外科医の診察がありました。

実はふたばは、人に見られたり囲まれたりすることが大好きで、
診察の時なんかは張り切ってしまうのか、ベッドから転げ落ちるのではと思うほど、
自分のできる動きをめいっぱい披露する子なのです(笑)。

この時も、昼寝をしていたふたばでしたが、医師が入室してくると、ぱちっと目を覚まし、
足を上げたり寝返ってみたり、玩具をふり回して音を鳴らしてみたりしていました。

ふたばの体の動きを見てまず言われたことが
「これは、脳性麻痺とは違う」
ということでした。

ふたばは、上半身の動きが悪く、特に指・手・腕が固いと言われてきました。
でもそれは、整形外科医から見ると「脳性麻痺による筋緊張の固さではない」ということでした。
緊張が強いのではなく、「先天性の関節拘縮症に近い」のだそうです。

さらに、ふたばには呼吸と嚥下に重度の障害がありますが、
下半身(足)の動きはとても活発で、
これはとってもアンバランスなことだと。

つまり上肢と下肢の障害の状態があまりにも違いすぎるということです。

生まれた時の低酸素状態の後遺症は確かにあるけれど、
それ以外に、きっと先天的な疾患もあるのだろう、という新たな診断をされたのでした。
ただそれは検査のしようがないそうです。

「今までにないケースだね、珍しい」と首を傾げていました。
(前にも、口腔外科医に言われたなぁ…

「ふたばさんの体の発達は、生まれた時から正常ではないので、
とにかくリハビリをして他動的に体に覚えさせるしかないですね。
わからないことが多いけれど、まあ、いろいろやってみないとわからない。
親がどんな風に育てたいかということも関わってきますね。
本人は活発ですごく意欲が高いようだから、いろいろやってみましょう!」
と、力強い言葉をもらい、やはりふたばの体にはリハビリが必要なんだなぁと実感しました。

ふたばには「脳性麻痺」という以外にはっきりした診断名がなく、体の状態も相当珍しいようで、
不思議な子だけれど、可能性もいっぱい持っているのかもしれない。
やれることをやっていこう、と思いました。


(療育園3に続きます)

応援していただけると嬉しいです!
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村

療育園1(療育園を選んだ理由)

ふたばが生後9ヶ月になる頃、入院している病院に、療育園への転院希望を出しました。

自宅での生活を始める前に、病院生活から自宅生活に少しずつ慣らす(ふたばにとっても家族にとっても)ためと、
集中的にリハビリを受けたかったためです。

それから、ふたばを育てていくには、おそらくたくさんの人の助けを借りることになるだろうと考えるようになっていたので、
病院以外にも頼れる場所を作っておきたい気持ちがありました。
もし、私たち両親に何かあった時、ふたばのことを見てもらえる場所をいくつか確保しておきたいと。
そして小さいうちから見てもらっておけば、ふたばが大きくなっても安心して利用できるような気がしたのです。
ふたばのことを「赤ちゃんのときから知ってるよ~」と言ってもらえる場所を作りたかったので、
今のうちから顔と名前を売っておくといいかも~なんて思惑もありました



療育園を知ったのは、入院している病院と同じ系列のリハビリ病院を紹介してもらい、
見学に行った時、医師から教えてもらったことがきっかけでした。

そのリハビリ病院の小児病棟は、入院できる年齢制限が2歳以上となっていました。
ふたばはまだ1歳で、そこにすぐに転院するというのは無理でした。
リハビリ病院の医師は
「うちだと2歳になるまで待ってもらわないといけないけど、
1歳からなら、療育園という選択肢がありますよ」
と教えてくれたのでした。

(ちなみにもう1つ、別のリハビリ病院にも見学に行きました。
そこは、ふたばのように生まれつき障害を追ったケースよりも、
後天的に障害を追ったケースに力を入れているところで、母子入所が条件でした。
うちにはひとみがいるし、何ヶ月も母子入所というのは難しいので、選択肢から外しました)


病院というのは、他の病院に関しては、
提携している・グループが同じ・過去にやりとりがあった…などの付き合いがない限り、
情報をあまり持っていないということがよくあります。
ふたばの生まれた病院では、(手術をする以外に)NICUやGCUから他の病院に転院した前例がないそうで、
病院側は「転院」についての情報をほとんど持ち合わせていませんでした。

高齢者向けの情報(施設や病院など)はたくさんあっても、子どもに関するものは本当に数少ないのです。
そしてリハビリを受けられる病院・施設の数もとても少ないです。

だから自分たちの足で情報を集めることが必要でした


療育園は、「重症心身障害児施設」と呼ばれる、福祉的要素の強い医療機関です。
「重症心身障害児」というのは、重度の肢体不自由と重度の知的障害とが重複した状態の子どものことです。

(重症度については、身体に関しては「身体障害者手帳」、
知的障害に関しては「療育手帳」((←地域によって名称が違います))の等級が目安になります)

ふたばは身体障害者手帳を1歳6ヶ月のときに取得していて、療育手帳は申請中でした。
(その後、1歳9カ月で取得しました)


見学に行ったとき、療育園は一言で言うと「なんて楽しそうなところ」と思いました。

陽のあたる部屋、にぎやかなプレイルーム。明るくテキパキしたスタッフの方々。
利用者は体を動かせない、言葉も発することができない、重い障害を持つ人ばかりが入所している施設ですが、
みんなとてもいきいきして見えました。

案内してもらった病棟は、最も障害が重度な人のための病棟で、入所しているのは大人がほとんど。
子どもは全体の2割くらいですが、病棟は可愛い飾りつけや明るい音楽で彩られていました。
(他の階は、軽度障害の病棟や、母子入院の病棟、通園施設などになっています)

正直、ふたばにとってどうか?というよりも、大人である自分が、楽しめそう~と思いました(笑)。


療育園では、ふたばが必要とする痰の吸引や経管栄養を行ってくれます。
他にも、人工呼吸器・胃ろうなどをしている患者さんの受け入れもされています。
赤ちゃん時代からのリハビリにも実績があります。

また面会制限がなく、子どもやおじいちゃんおばあちゃんもいつでも入室でき、
家族以外の友人なども、保護者の許可のもとで面会OKということでした。なんてオープン

入院代は医療保険が適用され(医療機関なので)、
乳幼児医療助成制度(自己負担額は1ヶ月最大1000円まで。ただし予防接種代などは実費)も適用されます。
負担するのは家から持参する紙オムツや洋服ぐらい。
これは本当にありがたかったです。


また、療育園の分園として、肢体不自由の子どものための通園施設があることも魅力でした。
その通園施設はなんと、自宅から電車で2駅の距離
園の存在は、地域の保健師から聞いていましたが、その母体が療育園だとは知らなかったので、びっくりでした。
自宅で過ごし始めたら、そこに通えたりするかなぁ~!?と考えたりもしました。


療育園に見学に行ってすぐに転院の希望を病院に伝えました。
すると今度は療育園のスタッフが、入院中のふたばのところに訪問診察に来てくれました。

園長、医師、看護師長、理学療法士、ソーシャルワーカーという方々が、ふたばのベッドを囲んでくれたのですが、
とても温かい診察でした。
ふたばの頑張りをたくさん褒めてくださり、笑いの沸き起こる楽しい時間でした。
理学療法士は、仰向けになったふたばの背中に手をあててぐっと背中を持ち上げるようにし
「こうすると呼吸が楽になるんです」と教えてくださいました。
次第にふたばの喘鳴が和らぎ、本人もリラックスした表情に
やっぱりリハビリってすごい。たくさん身につけたいなぁ、と思いました。

今すぐにでも転院したいと申し出ましたが、まずは気管切開をしてから…ということで気管切開の手術を待ちました。
気管切開をしたのがふたば1歳3ヶ月のときです。
そこから改めて転院希望を申し出て、そこから療育園のベッドの空きを2ヶ月ほど待ったので、
転院まで予想以上に時間がかかりました。
最初に転院希望を出してから8ヶ月、ふたばが1歳5ヶ月のときに療育園に転院しました。


NICUとGCUのスタッフの方々には、盛大な見送りをしてもらいました。
11月末だったので、「クリスマスプレゼントも兼ねて」と言って、
医師や看護師から玩具や洋服、帽子などをいただき、
スタッフ全員からのメッセージカードもプレゼントしてもらいました

ふたばはたくさんの人に育てられ、大事にされてきたんだなぁと、心が温まりました


(療育園2に続きます)


応援していただけると嬉しいです!
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村

NICU5(明るい光の中で)

ふたばは、生まれてから10ヶ月という長い時間を、薄暗いNICUという場所で過ごしました。
NICUは子宮の状態に近く、安全で清潔な場所なので、
重い障害を持つ超低体重のふたばには適した場所であるということはわかっていました。
薄暗い環境でも、親や医療スタッフが声をかけ、歌を歌い、明るい雰囲気を作ることは可能でした。
それでも私は、自分の子どもには明るい陽の光の中で育ってほしい!と願ってきました。

気管切開術を受けるかどうか。
在宅に切り替える前にどこに転院するか。
そして在宅になってからどのように毎日を過ごすか…
いろいろな決断のもとになったのは、
やはり「明るい光の中で育ってほしい」という願いでした

生後10ヵ月の時、NICUから、隣のGCUに移ることができました。
GCUとは、Growing Care Unit(=回復治療室とか継続保育室などと訳されている)の略で、
ふたばのいた病院では、
【NICUに入院した赤ちゃんの状態が落ち着いたら、GCUに移動して退院の準備をする】
という流れが一般的なようでした。
NICUより明るい環境で、とても嬉しかったです。

GCUに移った日のふたば。明るい部屋で、玩具もいっぱいで、目がキラキラしていたよ。
GCUに移った日


GCUでは、7ヶ月間過ごしました。1歳の誕生日も、GCUで迎えました。
ベッドにたくさんの飾り付けをしてもらい、バースデーケーキまでスタッフの方が用意してくれました。

また、1歳3ヶ月の時に、医療センターという大きな病院で気管切開術を受けました。
とにかく外の世界に連れ出したかったというのが、気管切開を選んだ一番の理由です。
これで随分とふたばの呼吸は楽になり、体重も少しずつ増えていきました。
医療センターの病室はとても明るい日差しが差し込んでいて、その光景ばかり思い出します。
光の中にふたばがいることが本当に嬉しかったのです。

1歳4ヶ月、気管切開から一ヶ月後に、「一時帰宅」という形で、
ふたばを初めて自宅に連れて帰ることができました。
2時間ほどの帰宅で、病院から看護師が一人付き添ってくれました。
自宅でのケアの指導や、生活のシミュレーションを一緒にしたりしてもらいました。
素晴らしい秋晴れの日で、ふたばはとてもまぶしそうに、外の世界を楽しんでいるように見えました。

慣れてくると「一時外泊」も経験し、初めて公園に連れて行ったり、電車に乗せてみたりと、
ふたばにとっても、私たち家族にとっても、一緒に過ごす楽しい時間がどんどん増えていきました。

そしていよいよ、療育園への転院の日を迎えることになります。


ちなみに…在宅になってからは、毎日陽の光を浴び、夏には黒く日焼けしながら、成長していっています


(「療育園」に続きます)


応援していただけると嬉しいです!
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村


NICU4(気管切開に至るまで)

医師から「気管切開」の話が出たのは、ふたばが生まれてから半年経った頃、
前回の記事に出てくる「家族面会」の直後でした。


生後40日で人工呼吸器を外し、自力呼吸をしていたものの、
だんだんとDPAP(呼吸補助器具)を装着する時間が長くなっていきました。
DPAPを外すと、呼吸がしんどくなり、陥没呼吸を始めてしまいます。
NICUに入室すると、いつもふたばの喘鳴が響き渡っていました。

呼吸にかけるエネルギーが大きすぎて体重が増えず、注入したミルクの逆流もよく起こっていました。
呼吸のストレスが大きいせいか胃潰瘍になり
(注入の前に、シリンジを使って前回の注入分が胃に残っていないか確認するのですが、
その時に血が混じっていました)、沐浴もできない時期がありました。

そしてうちにDPAPを24時間装着したままとなりました。

DPAPをつけたふたば
ふたばと玩具


検査をした結果、呼吸するときに“声帯”が閉じてしまっていることがわかりました。
呼吸する時、空気の通り道がとても狭くなっているから苦しいのだそうです。
「声帯麻痺」という病名が告げられました。ふたばの病名がついたのはこれが初めてでした。
ちょっとした事でその声帯部分が詰まったりむくんだりすると、窒息する可能性があるということでした。

そこで、医師から気管切開を勧められたというわけです。
気管切開をすれば、呼吸は安全になるだろうと言われました。
病棟での管理もしやすくなるので、NICUの多くの医師が、ふたばには気管切開が必要だという見解を持っていました。
そして呼吸状態が安定すれば、自宅に連れて帰られる可能性も高くなるということでした。

ただ、もちろんデメリットもあります。一番のデメリットとして、声が出なくなるそうです。
そして気管内の痰の吸引が必要になり、自宅に帰ればつきっきりで看護をしなくてはいけないということでした。
また一度気管切開をすると、それがいつか外せるのかは、全くわかりません。
一生入れたままになるかもしれません。

さらに、今いる病院には小児外科がなく手術ができないため、
手術を受けるなら他の病院に転院しないといけなくなります。

メリットとデメリット。家に連れて帰るためにはどうしたら良いのか。
…頭の中をひたすらぐるぐるしていました。
小さな小さな体にメスを入れ器具を入れることなど、正直したくはありませんでした。

そのことを医師に伝えると「喉に穴を開けてチューブを通すだけの簡単で安全な手術です。
医療者という立場から言うと、ふたばさんが楽になるだろうと思うので、気管切開された方が良いと思います。
ただ…もし自分の子どもだったら…と親の立場になって考えると、悩むと思います」
と親身になってくれた医師もいました。

また、私が気管切開に難色を示している気持ちを尊重し、
「とにかくゆっくり考えてください」と言い続けてくれた医師もいました。
そして「参考になれば」と、実際に気管切開されたお子さんを持つ保護者の方を2人紹介してくれました。

決断をするためには、まず「気管切開」についてよく知ることが必要だと考えました。

ふたばがNICUにいるといつまでも家族みんなで過ごすことはできません。
先日、初めて姉妹を対面させることができ、家族4人そろった時間を持った事で、
やっぱり自宅でみんなで過ごす時間を持ちたいと、強く思うようになっていました。
ただ、今の状態でふたばをすぐに連れて帰るにはリスクが大き過ぎます。
安全で(=医療行為を行ってくれる)、家族で過ごせることのできる場所はないだろうか?
今のNICUではなく、他の病院にそんな場所はないだろうか?と考えるようになりました。

そこで、「気管切開」についてよく知ることと、
自宅に連れて帰るという目標の前段階として「転院」を考えることを目的として、
夫と一緒に次のような計画を立てて動きました。

①気管切開術を行っている小児外科に、手術についての話を聞きに行く

②実際に気管切開されたお子さんを持つ保護者に話を聞く

③医療行為を行ってくれて、家族みんなで過ごせる場所を探す



①について:
小児外科では、医師にふたばの状態を「低酸素脳症による脳性麻痺ですね」とさらっと言われ驚きました。
いつもの病院では、「声帯麻痺」ということしか告げられていなかったのに。
それに対してはショックと言うよりも、やっぱりそうか!という気持ちでした。

病院に戻り「ふたばは脳性麻痺なんでしょうか」と医師に尋ねると
「症状から判断すれば、そうだと言えると思います」との回答でした。
「こちらでは、脳性麻痺という名前を言っていただいたことはないですが、
どうして言ってくださらなかったんですか?」と質問すると
「脳性麻痺、というのは、保護者が最もショックを受けられる診断なので…
なかなか簡単に言えなかったんです。すみません、お母さん」と謝って下さいました。

私は「先生、これからは、“こういう可能性もある”という程度のものでも構わないので、
何でも言ってもらえませんか。何でも知りたいんです。
知ることで、それについての情報を集められるからです。お願いします」
と伝えました。
確かに重い診断ですが、これで情報を集められるし、何より自分の中で覚悟ができる!と思いました。
ふたばに関するいろいろなことを受け入れられるかわからずに怖がっていた時期もあったけれど、
今思えば、この頃にはもう、長いトンネルから少しずつ抜け出していたのかもしれません。

②について:
医師が与えてくれた、気管切開をされたお子さんを持つ保護者の方々との出逢いはとても貴重なものでした。
お家にお邪魔して、在宅での様子を見せてもらったりもしました。
その後も、吸引機のことを初めケアについてのいろいろな事を相談させてもらっています。

③について:
NICUを出て、転院できる病院を3つ、見学に行きました。
病院から紹介してもらった病院1つと、あと2つは自分たちで調べたところです。
すべて夫と一緒に見に行きました。

その中で、一番ふたばと私たち家族に合っていると感じたのは、療育園という場所でした。
療育園については、また別に詳しく書こうと思っています。






これらを、約半年かけてじっくり進めていき、結果的に気管切開という道を選ぶことにしたのです。
気管切開をすることに決めたのは、ちょうどふたばが1歳になった頃でした。


気管切開に限らずですが、手術や病院生活のことで悩んでいる方、
在宅を目指している方がいらっしゃったら、少しでもこの記事が参考になれば…と思います。



◆「NICU2」の記事に非公開でコメントしてくださった方へ
(非公開コメントには個別で返信ができないようなので、ここに書かせていただきます)
コメントありがとうございます。
ありのままを「受け入れる」ってとても難しいことだと思います。
私も、今もすべてを受け入れられているかというと、そうではありません。。。
でも、時間がかかってもいいや、と思えるようになったし、
自分1人で頑張らなくてもいいんだと、今は思っています。
また遊びに来てくださいね。



応援していただけると嬉しいです!
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村

NICU3(やっと会えたね!)

このブログを「にほんブログ村」に登録してから1週間が経ちました。
多くの方が遊びに来てくださり、バナーや拍手ボタンをクリックしてくださっていて
本当に嬉しいです。ありがとうございます

これまでのことを順に書いていますが、
ふたばと過ごす「今」についても早くアップしたいな~と思っています

今回は、NICU入院時代の話の続きを書きます。

******************************************************************************

NICU入院中は、週に3回、医師との面談の日というのが設けられていました。
赤ちゃんの状態などを医師に直接聞ける機会でした。

初めのうちはふたばの状態を聞くのが中心でしたが、
入院から半年ほど経ってからは、こちらからの要望をどんどん出していきました。
前回書いたカウンセリングの件も、面談の場で相談し、医師が対応してくれたことです。
カウンセリングの他にも、いくつか要望を出し、その都度、医師と看護師で協議し、対応してくれました。

「ふたばの心の成長のために、NICUで持ち込み禁止になっている玩具や絵本を持ち込みたい」
という要望に対しては
「アルコール消毒のできる物なら良いですよ」と許可がおりました。

「上の子をふたばに会わせたい」という要望に対しては、
時間をかけて協議してくれました。
保育園に通っているひとみは、病原菌を持っている可能性もあるし、
この要望を出したのは冬だったこともあり、慎重に協議されていたようです。

家族が離れ離れに過ごしている期間が長すぎて、
特に姉のひとみが、妹のふたばから気持ちが離れてしまうのではないか、ということを私は懸念していました。

そのことも伝えた結果、NICUとは別室で、家族だけで過ごせるようなプランを立ててくれました。

ふたばは、呼吸補助のDPAPという機械を24時間装着していたのですが、
DPAPは、病室にある供給設備(よく病院のベットの頭側に「吸引」とか「酸素」とか書かれている、アレです)
が必要なので、その設備のある部屋でないといけません。
設備のある部屋を用意してくれ、ふたばにモニターをつけて、NICUで管理できるように設定してくれました。

医師と看護師が「初めての試みなので、スタッフも機械も万全に用意しておきますね!」
と心強い言葉をくれました。



対面当日、マスクとガウンを着けたひとみは、とても緊張していました
いざ用意された部屋に入ると、プレイマットや玩具を用意してくれていて…
スタッフの心遣いに、温かい気持ちになりました。

そしてひとみとふたばの初めての対面。
ふたば誕生から約半年…

やっと会えたね!

ひとみはとても嬉しそうに、ふたばの手足やほっぺを触ったり、
玩具を持たせてみたり、絵本を読んであげたりしていました。
そして、ふたばの鼻についているDPAPの機械まで撫でていました。
まるで機械もふたばの体の一部かのように。

ひとみとふたば 初対面


ふたばはDPAPを装着していても呼吸が苦しくなることが多々あり、
その度に泣いてチアノーゼを起こすこともあったのですが、面会中はそういうこともなく、ほっとしました。
この面会を、夫が「家族面会」と名付けていましたが、
家族面会の後、ふたばの機嫌が良く、呼吸状態も良くなっていたのにはびっくりしました。

姉妹の姿を見て、なぜだかわからないけれど、「この子達は大丈夫」と感じました。
私が思っているよりももっともっとたくましく育っていってくれる、と。

家族というのは、血の繋がりという以上に、長い時間を一緒に過ごしてこそ、関係が築かれていくもの。
たとえそれが許されない状況であっても、なるべく一緒に過ごせるようにしていきたいと思いました。

(「NICU4」に続きます)


応援していただけると嬉しいです!
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村

NICU2(長いトンネル)

NICUで過ごした10ヶ月間、私はふたばのベッドサイドで泣き崩れるようなことは一度もありませんでした。

1kgに満たない体重で生まれたふたばは、もちろんとっても小さくて、
チューブや機器のつながった姿だったのですが、
ふたばの姿はいつも、すごく強くたくましく見えました。
体全体で生きているような、不思議なオーラ(?)が出ているようでした。

そして、超重度と呼ばれる部類の赤ちゃんでしたが、なんだかユーモラスなことが多くて、
スタッフの方たちとよく笑いました。
大きな音が聴こえると、ばーんと両脚を広げるしぐさや、
お風呂(ベビーバス)につかると「ぷはぁ~」とでも言っているような様子や、他にもいろいろ。

ただ、一時期、私にも、しんどい波が来ていた時期がありました。
生後4ヶ月頃、他の低体重の赤ちゃんを見る機会が増え、
ふたばの見た目が他の赤ちゃんと全然違うことに気が付いた頃のことです。

口が開きっぱなし。笑うことが一度もない。ふとした時に白目をむく。
そのことを、ずいぶん長い間、スタッフの方に聞くことができずにいたのです。

「ふたばは、他の赤ちゃんと全然見た目が違いますよね?
ちょっとおかしいですよね?なぜですか?」
…ということが頭にいっぱいだったのですが、聞くことができませんでした。

怖かったのだと思います。自分が、事実を受け止められるかどうかがわからなかった。
そのことが何よりも怖かったのです。

同じ時期に低体重で生まれた赤ちゃんは、じきに呼吸器がはずれ、経口摂取ができ、
笑顔を見せるようになって元気に退院していきます。
NICUで友達になったお母さん達も、どんどんいなくなっていきました。

一方ふたばは、だんだんと自力呼吸がしんどくなっていきました。
栄養も、口からは一滴も摂ることができません。笑顔も一度も見られません。

そしてNICUにいる赤ちゃんや、街で見かける赤ちゃん、
ついには長女ひとみの小さい頃の写真まで、
直視することができなくなってしまいました。


ふたばは助かって良かったのだろうか?
医療に生かされていて幸せなのだろうか?
毎日、身を削られるような思いでした。
ただ「ふたばのために」と頑張れるほど、
「障害があっても、生きていてくれるだけでいい」と思えるほど、
ふたばへの愛情が深かったら良かった。
自分は全く献身的な母親ではないことを自覚しました。

長い長い暗いトンネルにいるような気分でした。

「気分の落ち込みがひどいので、話を聞いてくれる人が欲しいです」
面談の時、医師に伝えると、
病院専属の臨床心理士(病院のスタッフのカウンセリング業務をしている)がいるので、
カウンセリングを受けてみてはどうか、と勧めてくれました。
ありがたいことに料金は無料で。
そしてこれは、この病院では初めての試みだと言われました。

いつもふたばを見てくれているスタッフの方を相手にすると、絶対に本音が吐き出せない。
ふたばの話になると、いつものようにふたばに関する前向きな会話だけで終始してしまいます。

なので、ふたばのことも私のことも全く知らない臨床心理士に、気持ちを打ち明けることは、
とても私を楽にしてくれました。
励ましもせず、否定もせず、ただただ聞いてもらう。
このことが、この時期の私にとってはとても大事なことだったと思います。




ひとみの前でも一度だけ、ふたばのことで涙を見せてしまったことがあります。
3歳になったばかりのひとみが
「ふたば、早く家に帰ってきてほしいな。だって大好きだも~ん!」
と突然私に言ってきたことがありました。

まだ、直接ふたばに会ったことのないひとみ。
NICUで撮ったふたばの様子を写真や動画で見せたり、
病棟で窓越しに顔を合わせるだけの面会を一回しただけでした。
それなのに、大好きと言っている愛情深いひとみの言葉に涙が出ました。
泣いている私を見てひとみは、めいっぱいの笑顔で
「ママ笑って!い~っぱい笑って!」と言ってくれました。
ひとみの存在にも、大きな力をもらっていました。
早く姉妹で過ごす時間を作ってあげたいという思いが強くなっていきました。


(NICU3に続きます)


応援していただけると嬉しいです!
にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ
にほんブログ村