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Author: みっち 
とっても小さく生まれ、重症心身障害を持つ次女・ふたばと過ごす日々を綴ります。

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2年前、気管切開したときのこと

秋の空気、秋の陽射しを感じられるようになりましたね。


ふたばが気管切開手術を受けてから、まる2年が過ぎました。
そのときのことを振り返ってみたいと思います。


気管切開に至るまでには、長い経緯がありました
(過去の記事『気管切開に至るまで』参照)。

手術の前日、ふたばは1歳2ヶ月にして初めて、
生まれた病院から外に出ました
生まれた病院には小児外科がなく、気管切開手術を受けることができないため、
別の病院(総合医療センター)へ移ったのでした。


清々しいお天気の日でした。
総合医療センターまでは、救急車に乗せてもらって移動しました。
メンバーは、主治医と看護師さん、それからふたばと私たち夫婦。

何の話をしていたのか忘れましたが、とにかく盛り上がり、笑いっぱなしの道中でした
外から見たら、救急車の中でゲラゲラ笑っている姿など、誰も想像しないよな~なんて考えていました。

ふたばは終始、まぶしそうな表情をしていました。


医療センターに着いて、案内された病室は、
太陽の光が差し込み、窓の外にたくさんの花が咲いているのか見えました。

付き添ってくださった主治医と看護師さんは、
医療センターのスタッフの方に申し送りをしてから帰られました。


病室で、手術を受ける前のふたばを写真に撮ったり、
手術によって失われる声を動画に収めたりしました。

完全看護ということで、私と夫はいったん家に帰りました。

その日の夜はなぜかうまく眠れませんでした。
納得して気管切開手術を受けることにしたのに、
なぜだかとても悲しくて不安な気分に襲われました。


手術当日の朝、私と夫が病棟に着いてしばらくしてから、
ふたばをサークルベッドに乗せて手術室に向かいました。

私はガウンやマスク、帽子を身につけて、一緒に手術室の中まで入りました。

医師の指示で手術室を出て、元の病室で、手術が終わるのを待ちました。

1時間後、病室に帰ってきたふたばは、麻酔が効いて眠っていました。
気管切開直後

顔を見てびっくり。
「…あれ?こんな顔やったっけ!?」
後から、手術のため顎や首回りが浮腫んでいたことを知りました(^_^;)

手術後4~5日は、気管切開部に肉芽(にくげ:傷口が治るときに盛り上がってくる肉のこと)が
できるのを防止するためと、感染を予防するため、
痰の吸引を医療スタッフに任せることになりました。

これまでは、喉の奥でゴロゴロと音がしたり、呼吸するたびに喘鳴が響いたりしていましたが、
気管切開部から吸引すると、それらがすっきり取れることに、びっくりしました

手術直後で分泌物が多くて出血もあり、
ゴロゴロと音がするたびにナースコールをして吸引をしてもらいました。

入院中は、夜も出来る限り付き添いをしました。

ふたばの側でカニューレホルダーを作ったり、
病院内の図書室で借りた本を読んだりして過ごしました。

これまでいたNICUでは、消毒した玩具以外は持ち込みができなかったので
ふたばのそばで縫い物をしたり読書をしたりできることが嬉しかったです。
…と言うよりも、自分が何かをしているそばに、ふたばがいるのが嬉しかった、と言った方が正しいかな。


明るい陽射しの中でふたばと過ごす時間。
ふたばと一緒に眠る時間。
喘鳴のない落ち着いた呼吸状態のふたば。
かけがえのないものに思えました。

手術後1週間で、元の病院に戻りました。
気管の痰吸引や、カニューレ交換、気管切開部のケアなどの手技は、
傷が落ち着いた頃から練習を始めました。


それから2年、特に気管切開部のトラブルはなく、
念のため用意しているアンビューバッグも出番がないままです。
 (アンビューバッグとは、手動の人工呼吸器。
 呼吸が難しい患者の口や鼻から肺に空気を送り込むもの。
 気管切開患者には、気管切開部から送り込みます。
 正式名は「バッグバルブマスク」ですが、
 一般的にドイツのAmbu(アンビュー)社の製品がよく知られていることから、
 アンビューバッグという名前で呼ばれます)


…あ、1度だけ、カニューレ抜去事件がありました!
気管切開して2ヶ月後に療育園に転院したのですが、
療育園の看護師さんから
「今日、カニューレ抜いちゃったんですよ~!」
と報告があったんです。
カニューレをとめているホルダーにつけたマジックテープが原因だったので
(必要以上にマジックテープ部分が大きかったため、
洋服か毛布かにくっついてしまってマジックテープが外れ
そのままカニューレが抜けてしまった)
急いで改良品を作りました。

当の本人は、カニューレが抜けて苦しがる様子もなく
抜けたカニューレをくるくる振り回していたらしいです(^_^;)



「気管切開して良かったですか?」

気管切開を決断するまで、先輩のお母さん達に必ずしていた質問。

2年が経った今、もし誰かに問われたら、

 していなければ、今の生活はない。
 気管切開したことは、自然なことだったと思う。
 して良かったです。

こう答えると思います。




さて、気管切開2周年記念日に、ちょっと特別なことをしたわが家
また、そのことについても、後日記事にしたいと思います。



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NICU5(明るい光の中で)

ふたばは、生まれてから10ヶ月という長い時間を、薄暗いNICUという場所で過ごしました。
NICUは子宮の状態に近く、安全で清潔な場所なので、
重い障害を持つ超低体重のふたばには適した場所であるということはわかっていました。
薄暗い環境でも、親や医療スタッフが声をかけ、歌を歌い、明るい雰囲気を作ることは可能でした。
それでも私は、自分の子どもには明るい陽の光の中で育ってほしい!と願ってきました。

気管切開術を受けるかどうか。
在宅に切り替える前にどこに転院するか。
そして在宅になってからどのように毎日を過ごすか…
いろいろな決断のもとになったのは、
やはり「明るい光の中で育ってほしい」という願いでした

生後10ヵ月の時、NICUから、隣のGCUに移ることができました。
GCUとは、Growing Care Unit(=回復治療室とか継続保育室などと訳されている)の略で、
ふたばのいた病院では、
【NICUに入院した赤ちゃんの状態が落ち着いたら、GCUに移動して退院の準備をする】
という流れが一般的なようでした。
NICUより明るい環境で、とても嬉しかったです。

GCUに移った日のふたば。明るい部屋で、玩具もいっぱいで、目がキラキラしていたよ。
GCUに移った日


GCUでは、7ヶ月間過ごしました。1歳の誕生日も、GCUで迎えました。
ベッドにたくさんの飾り付けをしてもらい、バースデーケーキまでスタッフの方が用意してくれました。

また、1歳3ヶ月の時に、医療センターという大きな病院で気管切開術を受けました。
とにかく外の世界に連れ出したかったというのが、気管切開を選んだ一番の理由です。
これで随分とふたばの呼吸は楽になり、体重も少しずつ増えていきました。
医療センターの病室はとても明るい日差しが差し込んでいて、その光景ばかり思い出します。
光の中にふたばがいることが本当に嬉しかったのです。

1歳4ヶ月、気管切開から一ヶ月後に、「一時帰宅」という形で、
ふたばを初めて自宅に連れて帰ることができました。
2時間ほどの帰宅で、病院から看護師が一人付き添ってくれました。
自宅でのケアの指導や、生活のシミュレーションを一緒にしたりしてもらいました。
素晴らしい秋晴れの日で、ふたばはとてもまぶしそうに、外の世界を楽しんでいるように見えました。

慣れてくると「一時外泊」も経験し、初めて公園に連れて行ったり、電車に乗せてみたりと、
ふたばにとっても、私たち家族にとっても、一緒に過ごす楽しい時間がどんどん増えていきました。

そしていよいよ、療育園への転院の日を迎えることになります。


ちなみに…在宅になってからは、毎日陽の光を浴び、夏には黒く日焼けしながら、成長していっています


(「療育園」に続きます)


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NICU4(気管切開に至るまで)

医師から「気管切開」の話が出たのは、ふたばが生まれてから半年経った頃、
前回の記事に出てくる「家族面会」の直後でした。


生後40日で人工呼吸器を外し、自力呼吸をしていたものの、
だんだんとDPAP(呼吸補助器具)を装着する時間が長くなっていきました。
DPAPを外すと、呼吸がしんどくなり、陥没呼吸を始めてしまいます。
NICUに入室すると、いつもふたばの喘鳴が響き渡っていました。

呼吸にかけるエネルギーが大きすぎて体重が増えず、注入したミルクの逆流もよく起こっていました。
呼吸のストレスが大きいせいか胃潰瘍になり
(注入の前に、シリンジを使って前回の注入分が胃に残っていないか確認するのですが、
その時に血が混じっていました)、沐浴もできない時期がありました。

そしてうちにDPAPを24時間装着したままとなりました。

DPAPをつけたふたば
ふたばと玩具


検査をした結果、呼吸するときに“声帯”が閉じてしまっていることがわかりました。
呼吸する時、空気の通り道がとても狭くなっているから苦しいのだそうです。
「声帯麻痺」という病名が告げられました。ふたばの病名がついたのはこれが初めてでした。
ちょっとした事でその声帯部分が詰まったりむくんだりすると、窒息する可能性があるということでした。

そこで、医師から気管切開を勧められたというわけです。
気管切開をすれば、呼吸は安全になるだろうと言われました。
病棟での管理もしやすくなるので、NICUの多くの医師が、ふたばには気管切開が必要だという見解を持っていました。
そして呼吸状態が安定すれば、自宅に連れて帰られる可能性も高くなるということでした。

ただ、もちろんデメリットもあります。一番のデメリットとして、声が出なくなるそうです。
そして気管内の痰の吸引が必要になり、自宅に帰ればつきっきりで看護をしなくてはいけないということでした。
また一度気管切開をすると、それがいつか外せるのかは、全くわかりません。
一生入れたままになるかもしれません。

さらに、今いる病院には小児外科がなく手術ができないため、
手術を受けるなら他の病院に転院しないといけなくなります。

メリットとデメリット。家に連れて帰るためにはどうしたら良いのか。
…頭の中をひたすらぐるぐるしていました。
小さな小さな体にメスを入れ器具を入れることなど、正直したくはありませんでした。

そのことを医師に伝えると「喉に穴を開けてチューブを通すだけの簡単で安全な手術です。
医療者という立場から言うと、ふたばさんが楽になるだろうと思うので、気管切開された方が良いと思います。
ただ…もし自分の子どもだったら…と親の立場になって考えると、悩むと思います」
と親身になってくれた医師もいました。

また、私が気管切開に難色を示している気持ちを尊重し、
「とにかくゆっくり考えてください」と言い続けてくれた医師もいました。
そして「参考になれば」と、実際に気管切開されたお子さんを持つ保護者の方を2人紹介してくれました。

決断をするためには、まず「気管切開」についてよく知ることが必要だと考えました。

ふたばがNICUにいるといつまでも家族みんなで過ごすことはできません。
先日、初めて姉妹を対面させることができ、家族4人そろった時間を持った事で、
やっぱり自宅でみんなで過ごす時間を持ちたいと、強く思うようになっていました。
ただ、今の状態でふたばをすぐに連れて帰るにはリスクが大き過ぎます。
安全で(=医療行為を行ってくれる)、家族で過ごせることのできる場所はないだろうか?
今のNICUではなく、他の病院にそんな場所はないだろうか?と考えるようになりました。

そこで、「気管切開」についてよく知ることと、
自宅に連れて帰るという目標の前段階として「転院」を考えることを目的として、
夫と一緒に次のような計画を立てて動きました。

①気管切開術を行っている小児外科に、手術についての話を聞きに行く

②実際に気管切開されたお子さんを持つ保護者に話を聞く

③医療行為を行ってくれて、家族みんなで過ごせる場所を探す



①について:
小児外科では、医師にふたばの状態を「低酸素脳症による脳性麻痺ですね」とさらっと言われ驚きました。
いつもの病院では、「声帯麻痺」ということしか告げられていなかったのに。
それに対してはショックと言うよりも、やっぱりそうか!という気持ちでした。

病院に戻り「ふたばは脳性麻痺なんでしょうか」と医師に尋ねると
「症状から判断すれば、そうだと言えると思います」との回答でした。
「こちらでは、脳性麻痺という名前を言っていただいたことはないですが、
どうして言ってくださらなかったんですか?」と質問すると
「脳性麻痺、というのは、保護者が最もショックを受けられる診断なので…
なかなか簡単に言えなかったんです。すみません、お母さん」と謝って下さいました。

私は「先生、これからは、“こういう可能性もある”という程度のものでも構わないので、
何でも言ってもらえませんか。何でも知りたいんです。
知ることで、それについての情報を集められるからです。お願いします」
と伝えました。
確かに重い診断ですが、これで情報を集められるし、何より自分の中で覚悟ができる!と思いました。
ふたばに関するいろいろなことを受け入れられるかわからずに怖がっていた時期もあったけれど、
今思えば、この頃にはもう、長いトンネルから少しずつ抜け出していたのかもしれません。

②について:
医師が与えてくれた、気管切開をされたお子さんを持つ保護者の方々との出逢いはとても貴重なものでした。
お家にお邪魔して、在宅での様子を見せてもらったりもしました。
その後も、吸引機のことを初めケアについてのいろいろな事を相談させてもらっています。

③について:
NICUを出て、転院できる病院を3つ、見学に行きました。
病院から紹介してもらった病院1つと、あと2つは自分たちで調べたところです。
すべて夫と一緒に見に行きました。

その中で、一番ふたばと私たち家族に合っていると感じたのは、療育園という場所でした。
療育園については、また別に詳しく書こうと思っています。






これらを、約半年かけてじっくり進めていき、結果的に気管切開という道を選ぶことにしたのです。
気管切開をすることに決めたのは、ちょうどふたばが1歳になった頃でした。


気管切開に限らずですが、手術や病院生活のことで悩んでいる方、
在宅を目指している方がいらっしゃったら、少しでもこの記事が参考になれば…と思います。



◆「NICU2」の記事に非公開でコメントしてくださった方へ
(非公開コメントには個別で返信ができないようなので、ここに書かせていただきます)
コメントありがとうございます。
ありのままを「受け入れる」ってとても難しいことだと思います。
私も、今もすべてを受け入れられているかというと、そうではありません。。。
でも、時間がかかってもいいや、と思えるようになったし、
自分1人で頑張らなくてもいいんだと、今は思っています。
また遊びに来てくださいね。



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NICU3(やっと会えたね!)

このブログを「にほんブログ村」に登録してから1週間が経ちました。
多くの方が遊びに来てくださり、バナーや拍手ボタンをクリックしてくださっていて
本当に嬉しいです。ありがとうございます

これまでのことを順に書いていますが、
ふたばと過ごす「今」についても早くアップしたいな~と思っています

今回は、NICU入院時代の話の続きを書きます。

******************************************************************************

NICU入院中は、週に3回、医師との面談の日というのが設けられていました。
赤ちゃんの状態などを医師に直接聞ける機会でした。

初めのうちはふたばの状態を聞くのが中心でしたが、
入院から半年ほど経ってからは、こちらからの要望をどんどん出していきました。
前回書いたカウンセリングの件も、面談の場で相談し、医師が対応してくれたことです。
カウンセリングの他にも、いくつか要望を出し、その都度、医師と看護師で協議し、対応してくれました。

「ふたばの心の成長のために、NICUで持ち込み禁止になっている玩具や絵本を持ち込みたい」
という要望に対しては
「アルコール消毒のできる物なら良いですよ」と許可がおりました。

「上の子をふたばに会わせたい」という要望に対しては、
時間をかけて協議してくれました。
保育園に通っているひとみは、病原菌を持っている可能性もあるし、
この要望を出したのは冬だったこともあり、慎重に協議されていたようです。

家族が離れ離れに過ごしている期間が長すぎて、
特に姉のひとみが、妹のふたばから気持ちが離れてしまうのではないか、ということを私は懸念していました。

そのことも伝えた結果、NICUとは別室で、家族だけで過ごせるようなプランを立ててくれました。

ふたばは、呼吸補助のDPAPという機械を24時間装着していたのですが、
DPAPは、病室にある供給設備(よく病院のベットの頭側に「吸引」とか「酸素」とか書かれている、アレです)
が必要なので、その設備のある部屋でないといけません。
設備のある部屋を用意してくれ、ふたばにモニターをつけて、NICUで管理できるように設定してくれました。

医師と看護師が「初めての試みなので、スタッフも機械も万全に用意しておきますね!」
と心強い言葉をくれました。



対面当日、マスクとガウンを着けたひとみは、とても緊張していました
いざ用意された部屋に入ると、プレイマットや玩具を用意してくれていて…
スタッフの心遣いに、温かい気持ちになりました。

そしてひとみとふたばの初めての対面。
ふたば誕生から約半年…

やっと会えたね!

ひとみはとても嬉しそうに、ふたばの手足やほっぺを触ったり、
玩具を持たせてみたり、絵本を読んであげたりしていました。
そして、ふたばの鼻についているDPAPの機械まで撫でていました。
まるで機械もふたばの体の一部かのように。

ひとみとふたば 初対面


ふたばはDPAPを装着していても呼吸が苦しくなることが多々あり、
その度に泣いてチアノーゼを起こすこともあったのですが、面会中はそういうこともなく、ほっとしました。
この面会を、夫が「家族面会」と名付けていましたが、
家族面会の後、ふたばの機嫌が良く、呼吸状態も良くなっていたのにはびっくりしました。

姉妹の姿を見て、なぜだかわからないけれど、「この子達は大丈夫」と感じました。
私が思っているよりももっともっとたくましく育っていってくれる、と。

家族というのは、血の繋がりという以上に、長い時間を一緒に過ごしてこそ、関係が築かれていくもの。
たとえそれが許されない状況であっても、なるべく一緒に過ごせるようにしていきたいと思いました。

(「NICU4」に続きます)


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NICU2(長いトンネル)

NICUで過ごした10ヶ月間、私はふたばのベッドサイドで泣き崩れるようなことは一度もありませんでした。

1kgに満たない体重で生まれたふたばは、もちろんとっても小さくて、
チューブや機器のつながった姿だったのですが、
ふたばの姿はいつも、すごく強くたくましく見えました。
体全体で生きているような、不思議なオーラ(?)が出ているようでした。

そして、超重度と呼ばれる部類の赤ちゃんでしたが、なんだかユーモラスなことが多くて、
スタッフの方たちとよく笑いました。
大きな音が聴こえると、ばーんと両脚を広げるしぐさや、
お風呂(ベビーバス)につかると「ぷはぁ~」とでも言っているような様子や、他にもいろいろ。

ただ、一時期、私にも、しんどい波が来ていた時期がありました。
生後4ヶ月頃、他の低体重の赤ちゃんを見る機会が増え、
ふたばの見た目が他の赤ちゃんと全然違うことに気が付いた頃のことです。

口が開きっぱなし。笑うことが一度もない。ふとした時に白目をむく。
そのことを、ずいぶん長い間、スタッフの方に聞くことができずにいたのです。

「ふたばは、他の赤ちゃんと全然見た目が違いますよね?
ちょっとおかしいですよね?なぜですか?」
…ということが頭にいっぱいだったのですが、聞くことができませんでした。

怖かったのだと思います。自分が、事実を受け止められるかどうかがわからなかった。
そのことが何よりも怖かったのです。

同じ時期に低体重で生まれた赤ちゃんは、じきに呼吸器がはずれ、経口摂取ができ、
笑顔を見せるようになって元気に退院していきます。
NICUで友達になったお母さん達も、どんどんいなくなっていきました。

一方ふたばは、だんだんと自力呼吸がしんどくなっていきました。
栄養も、口からは一滴も摂ることができません。笑顔も一度も見られません。

そしてNICUにいる赤ちゃんや、街で見かける赤ちゃん、
ついには長女ひとみの小さい頃の写真まで、
直視することができなくなってしまいました。


ふたばは助かって良かったのだろうか?
医療に生かされていて幸せなのだろうか?
毎日、身を削られるような思いでした。
ただ「ふたばのために」と頑張れるほど、
「障害があっても、生きていてくれるだけでいい」と思えるほど、
ふたばへの愛情が深かったら良かった。
自分は全く献身的な母親ではないことを自覚しました。

長い長い暗いトンネルにいるような気分でした。

「気分の落ち込みがひどいので、話を聞いてくれる人が欲しいです」
面談の時、医師に伝えると、
病院専属の臨床心理士(病院のスタッフのカウンセリング業務をしている)がいるので、
カウンセリングを受けてみてはどうか、と勧めてくれました。
ありがたいことに料金は無料で。
そしてこれは、この病院では初めての試みだと言われました。

いつもふたばを見てくれているスタッフの方を相手にすると、絶対に本音が吐き出せない。
ふたばの話になると、いつものようにふたばに関する前向きな会話だけで終始してしまいます。

なので、ふたばのことも私のことも全く知らない臨床心理士に、気持ちを打ち明けることは、
とても私を楽にしてくれました。
励ましもせず、否定もせず、ただただ聞いてもらう。
このことが、この時期の私にとってはとても大事なことだったと思います。




ひとみの前でも一度だけ、ふたばのことで涙を見せてしまったことがあります。
3歳になったばかりのひとみが
「ふたば、早く家に帰ってきてほしいな。だって大好きだも~ん!」
と突然私に言ってきたことがありました。

まだ、直接ふたばに会ったことのないひとみ。
NICUで撮ったふたばの様子を写真や動画で見せたり、
病棟で窓越しに顔を合わせるだけの面会を一回しただけでした。
それなのに、大好きと言っている愛情深いひとみの言葉に涙が出ました。
泣いている私を見てひとみは、めいっぱいの笑顔で
「ママ笑って!い~っぱい笑って!」と言ってくれました。
ひとみの存在にも、大きな力をもらっていました。
早く姉妹で過ごす時間を作ってあげたいという思いが強くなっていきました。


(NICU3に続きます)


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